『ONE PIECE(ワンピース)』――多くの方がご存知のこの作品は、1997年に週刊少年ジャンプ誌上で連載が始まり、1999年にアニメ化された後も、今なお雑誌連載の続く人気漫画だ。
今回紹介する香港在住のLuffy (林兆豐)氏は、この作品の大ファン。
だが、ただのファンではない。
「『ONE PIECE』グッズのコレクター」というギネス世界記録を保持する、筋金入りのファンなのだ。
弊社の香港スタッフは林氏のインタビューを敢行。
彼の人となりをより多くの方に知っていただきたいと願い、この記事を書いている。
林氏は『ONE PIECE』が大好き。なかでも主人公「モンキー・D・ルフィ」が好き過ぎて、自ら「Luffy」を名乗るくらいだ。実生活での彼は副船長であり、本当の船長になるための勉強をしているという。
10年以上前から集め続けた『ONE PIECE』グッズは延べ1万点以上、数十万香港ドルに相当する。ついに「世界No.1海賊王」としてギネス世界記録に認定された林氏は、PHW OPF船長として、また、亡き“家族”の遺志を継ぐ者として日々活動を続けている。
12、13歳の頃に『ONE PIECE』を読み始めた林氏も、今では33歳。いつの間にかこの作品は20年の長きにわたり、彼の人生とともにある。
小学校最後の夏休みのことだった。彼が航海学校に進学すると知った親戚のひとりが、『ONE PIECE』という漫画の存在を教えてくれた。主人公のルフィに、林氏の性格が似ていると思ったからだという。
当時の航海学校は全寮制。入学した林氏が家に帰って息抜きできる機会は少なく、代わりに彼は『ONE PIECE』を読みふけった。
「『ONE PIECE』は、私の毎日を支え、毎週の学校生活を耐えるための柱になってくれました。たまの休みに家に帰ると、必ず親と連れ立って出かけていった先で『ONE PIECE』のグッズをねだって買ってもらったのをよく覚えています。『ONE PIECE』グッズを1点ずつ買い求め、大切に保管するようになったのはその頃からですね。まだ子供でお金を持っていない私にとって、既に世に出ていた、そしてこれからまだまだ出てくるであろう膨大なグッズを集めるのは夢のまた夢でした。社会人になったら絶対全部買ってやるぞ!と思っていました」と林氏は振り返る。
「航海学校を卒業して待望の社会人になったのですが、ちょうどその頃に父を事故で失ってしまいました。悲しみのあまり世界がどうでもよく思え、気力を失いかけました。でも『ONE PIECE』のおかげで、私の心の中に父が生きている限り、父はまだここにいるのだと信じ、立ち直ることができました。私は『ONE PIECE』の漫画を改めて読み直し、あれ以来、何かにつまずきそうになるたびに読み返すことにしています。どんなときでも前を向こうという励みになるからです」
林氏は『ONE PIECE』をこよなく愛し、漫画のなかで表現されているルフィの信念を現実の世界に表したいという願いからコスプレを始めた。すると、麦わら帽子を被ってコスプレする仲間を大勢得ることができた。今ではそんな“麦わらたち”と家族のような関係を続けている。
“家族”には“家”が必要だ、と考えた林氏は倉庫を借りた。彼が「海賊ハウス」と呼ぶその倉庫は“家族”の集まる場所であると同時に、収集を重ねてきた数多くのコレクションを保管し、展示しておく場所にもなっている。
「妻と出会った頃、そろそろ倉庫を大きな場所に移さないといけないなと思うのと同時に、これだけのコレクションの数だから世界記録に挑戦できるんじゃないかなとか、『ONE PIECE』の作者に私のことを知ってもらうことはできないかな、などと考えていました。一番仲のよい友人であるGerundは僕をずっと支えてくれて、どんなに貧乏をしても、どんなに大変なことがあっても、ギネス世界記録の認定を目指すための倉庫を完成させるのを一緒に手伝ってくれました」と林氏は言う。
「世界記録への挑戦は、正直途中で諦めたいぐらい大変で、とても疲れました。それに、世界記録を目指す過程で、私の人生にとってとても残念なことが起きてしまいました。急に体調を崩したGerundが、突然旅立ってしまったのです。ずっと一緒にいろんなことをやろうと誓っていたのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう……」
「Gerundの葬儀の日に彼の母親は私に言いました。あなたにとても感謝している、と。テレビで世界記録について語るGerundは『Luffy (林氏)のことだけどね、あいつもいつか同じように世界記録を達成するよ!』と話してくれていました。ところが当時の私はあまりにも怠惰で、Gerundが生きているうちに審査の申請さえしていなかったのです。これではいけないと強く思いました」
「ギネスの世界記録を認められた今、支えてくれた妻に感謝するのはもちろん、この栄誉をGerundと共有したいと思っています」
2年前、林氏には息子ができた。自分は努力がまだまだ足りていないと顧みる彼は、一歩踏み出して夢を叶える姿を息子に見せたいと言う。今彼は、船舶免許を取得して“本当の船長”になるべく、頑張っている。
「尾田先生がどんな思いで『ONE PIECE』を創られたのかはわかりません。でも私は 『ONE PIECE』のおかげで、夢に向かって突き進む意欲、やり抜く強い意志を得て、未来への希望を繋ぐことができています。だから『ONE PIECE』を創ってくださった尾田先生には本当に感謝しています」
「まだ『ONE PIECE』を描かれる前に出版された短編集『ロマンスの夜明け』に収録されているインタビューで、尾田先生は4歳で漫画家になろうと決意したと読みました。そのとおり、立派な漫画家になってらっしゃいます。夢を叶えるのは容易ではありません。ですが諦めてしまえば何もなくなってしまいます。私はファンとして、一生ずっと先生を応援していきたいと思っています」
『ONE PIECE』は、林氏の人生を変えたのだ。
※林氏の人生にまつわる物語、ギネス世界記録に至る経緯などにご興味を持たれた方は、ぜひお気軽に弊社へご連絡ください
株式会社フライメディアは、映像制作を中心に、海外、主に中国、台湾、香港のリサーチ、コーディネーションサービス、ライブ配信サービスをご提供している会社です。
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