最近、すごく衝撃的な映像をみました。しかし同時にとても感動的な内容でもあったので、ここで紹介したいと思っています。
2010年のある日、広州中山病院を静かにゆっくり歩いてくる少女がいた。
しかし、その頭には、ピンク色の服を被せられていて、一体何かあったのか、周囲の人は不思議に思った。
彼女の名前は呉小燕(ウー シャオ イエン)、22才。頭から服をかぶせていたのは、自分の顔がブサイクすぎて、他人をびっくりさせないためだった。
頭にピンク色の服を被せていて小燕(ネット映像より)
医師が「大丈夫だから、顔を見せて」と説得し、彼女はようやく服を頭から外した。
しかし、医師や看護婦は、彼女の顔を見たとたん、思わず息を飲んだ。
なぜこんなになってしまったのか?
身長150センチもない彼女は、顔がありえないほど大きく、恐ろしいほど変形していた。
病院で検査を受ける時の小燕(ネット映像より)
小燕は、浙江省慶元県の農民家庭に生まれた。小さい頃からかわいくてきれいな女の子だった。
小燕の小さい頃の写真(ネット映像より)
しかし9歳の時、悪夢が彼女と家族を襲った。
彼女の顔は、腫れて大きくなり、徐々に目が見えなくなっていった。
彼女は学校をやめ、父親に連れられ、様々な病院を訪ねた。
地元の医者は彼女を「視神経腫」と診断し、この病気は「治らない」と宣告した。
仕方なく、小燕は家に戻り、二度と外出せず、家にこもりっきりとなった。
その後の10年余りの間に、顔面の奇形が膨張し、目鼻立ちは徐々に変化し、両側の眼球は両手の大きさぐらい離れてしまった。
鼻は変形して、呼吸ができず、顔の腫瘍は頭と同じ大きさになった。
当時のレーントーケン写真から腫瘍の大きさがよく分かる(ネット映像より)
小燕が苦しむ一方で、さらに災難が続け様にやってきた。
なんと母親が突然、脳出血で倒れて、生活能力を失ってしまったのだ。
家の生計を立てるため、父親は昼は外で仕事し、夜は病気の妻と娘の面倒を見た。
今まで、顔のことで家こもって、イライラした時には、両親に怒ったりしていた小燕は、一夜で成長したかのように、家事をやり始めた。
ある日、小燕は父親のため、料理作りに挑戦した。
目も見えず、臭覚も失った小燕が作った料理がどんなものだったか、想像できるだろう。
しかし、父親は、調味料をかけすぎてまずい夕飯を最後の一口まで残さずに食べた。
小燕が料理を作っている厨房(ネット映像より)
小燕は、目が見えないため、ぶつかったり、ケガしたりすることがしょっちゅうだった。
しかし、彼女の体で最も弱いところは顔だった。
出血すると、止まらなくなるので、父親は常に気をつけて、家の家具をすべて固定した場所に置き、定期的にチョークで印をつけた。
家具を固定する場所にチョークで印を付けるお父さん(ネット映像より)
しかし、一番起きてほしくないことがおきてしまった。
その日、小燕はできた料理を運ぶ際、足を椅子に引っかけて、顔面を打って、大出血してしまったのだ。
地元の病院に搬送された時、出血量は1000mlにも達し、彼女は意識を失った。
通常の人の血液量は4000ml超であるが、彼女は一気に4分の1の血液をなくし、かなり危ない状況に陥った。
当時の主治医である林先生は、一刻も早く小燕の病気が専門治療を受けらる病院に連れて治療しないと、命を落とす確率が高いと父親に告げた。
しかし、すでに借金を背負う呉さん一家がこれ以上の治療費を出せる状況ではないと知った林先生は記者に頼み、小燕のことを記事にしてもらい、治療費の募金を呼び掛けた。
メディアの宣伝効果で、多くの人が小燕の難病を知り、3日間で8万元が集まり、ようやく手術費用が解決した。
病院に行った日は、小燕は難病を患ってから10数年ぶりの外出となった。自分の顔で人がびっくりしないよう、お父さんが用意してくれたピンク色の服を頭に被った。
その後、医師の診断によって、小燕の病状は以前に診断された「視神経腫瘍」ではなく、「骨繊維異常増殖症」であると判明した。
これは骨の発育異常による疾患で、本来骨に発育となる骨繊維が異常に増殖し、巨大な腫瘍となり、彼女の顔をどんどん蚕食していったのだった。
小燕の正面、側面写真(ネット映像より)
治療方法は病変部位を摘除するしかなかった。しかし、病変部位は顔の一番触れていけないところで、生命維持の脳幹であった。その部分はちょっとしたことでも死に至るリスクがあり、手術するかしないか、医師の間でも大きな苦悩があった。
しかし、小燕は、何の迷いもなかった。このような地獄のような生活を一刻も早く終えたい、例え一万分の一の希望しかなかったとしても、彼女は賭けてみたかった。
娘のために頑張って来た父親の姿や、小燕の勇気に感動した医師たちは手術をすることを決心した。
施術案としては、まず顔を真ん中から切開して、腫瘍部分をきれいに摘除する。
施術のイメージ写真 (ネット映像より)
それからチタン合金で作ったパーツで骨格を固定し、あごを元場所に戻す。
それから、鼻腔を通るように施術し、両眼を眼窩に戻して、眼球を支えるため、チタンでできたネットも眼球の下に入れる。
施術のイメージ写真 (ネット映像より)
最後、真ん中にある余分な皮膚を切除し、縫合を行う。
簡単に言うと、この手術はチタン板とチタンネットで小燕の新しい顔を作るものだった。
ずっと手術を期待していた小燕だが、手術の当日、だんだん怖くなり、手術室に入る直前、泣き始めた。「ママに会いたい」と泣き叫んだ。
実は最近母親からの連絡がなくなり、電話にかけても出てくれなかった。
母親の状況を心配していた小燕は、手術前にどうしても母親の声を聴きたかった。
こんな簡単な願いに、父親は「ママの状況はお前もわかるよね。今電話に出られないけど、家で待っているよ。手術が終わったら、きれいな姿をママに見せようね」と答えた。これを聞いた小燕は安心し手術室に入った。
しかし、実は小燕のお母さんは手術日の数日前に脳溢血再発で亡くなっていた。小燕の手術に影響しないように、父親はこの訃報を娘には告げなかったのだ。
一方、手術も順調ではなかった。大変危険な手術であることは、誰もがわかっていた。しかし、いくら心の準備があったと言え、突然の大出血で、医師たちも焦り始めていた。大出血によって、小燕の脈数は80から120、最高160にあがり、血圧は120から60、40,20にどんどん下がってしまい、
ショック状態になり、もう命は助からないかもと医師たちは思い始めていた・・・
手術終えた時小燕の様子(ネット映像より)
しかし、幸いにも、医師たちの努力の結果、出血はどうにか抑えられ、手術はどうにか無事に終えることができた。
数日後、小燕が目覚めた後、父親の口から母親が亡くなったことが告げられた。
しかし、小燕が全く泣かなかった。それは、自分に強く生きてほしいという母親の願いをかなえたいという思いからだった。
3か月後、小燕は退院し、初めて新しい顔で家に帰り、母親の墓参りをした。
母親の墓前で、小燕は「ママ、会いにきたよ。最期見送れなくて、ごめんなさい。私はよくなりました。今はきれいです。みんな、私にやさしくしてくれるから、安心してね。完治したら、必ずお父さんに親孝行します。ママ、会いたいです。」と声をかけた。
今まで泣かないと決めていた小燕だったが、墓参りから家に戻った瞬間、母親への思いがおさえられなく、泣き崩れた。
お母さんの墓参り時の様子(ネット映像より)
その後、小燕は数回の修正手術を受け、普通の女の子になった。
2018年10月15日、小燕は再び病院に訪れ、鼻の修復を望んだ。
今回一緒に来たのは父親ではなく、彼氏だった。
30才になった小燕と彼氏(ネット記事より)
彼は11才年上で、昨年知人の紹介で知り合ったという。彼は小さい頃に小児麻痺を患っていたため、足が不自由だった。同じ不幸な運命にあったからこそ、二人は互いを支えていくだろう!
主治医の廖さんによると、腫瘍を全部切除してしまうとリスクが高くなるため、当時小燕の顔面腫瘍は90%、重さ約2キロ以上を切除し、腫瘍は悪性ではないので、一部を残して、頭蓋底を支えるようにしたという。そのため、再発のリスクはつきまとう。小燕の場合、年齢に伴って、成長停止するまで腫瘍の成長速度がだんだん遅くなり、腫瘍の種類から転移することはないが、3~5年に1回再診が必要という。
不幸な境遇を乗り越えた小燕。
2年後の今、小燕は結婚したか子供がいるか現状はわかりませんが、この女性がどうなっているのか調べてみようと思っています。
(FLYMEDIA/Yasuka)
https://vimeo.com/manage/471835738/
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記事出典:
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1630490845611323062&wfr=spider&for=pc
https://www.sohu.com/a/270677169_100116740
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