地理的な近さ、大きくもなく小さくもないほどよい面積、人々の親切さ等々、台湾は本当に仕事しやすいところです。
最近、台湾の仕事が多く、今回も仕事で台湾へ行ってきました。途中で台中に寄り、台中を代表する観光スポット「彩虹眷村」というところに行きました。
「彩虹眷村」は台中を代表する観光スポットとしてとても人気で、テレビ番組や雑誌でも数多く取り上げられています。
「眷村(けんそん)」とは、かつて中国国民党と共産党が内戦し、国民党と国民党軍が台湾へ行き、当時の中国大陸出身の官僚や軍人や公務員や教師など「外省人」の住まいとして、国民党政府によって作られた地区の名称です。
台湾各地につくられた眷村ですが、その後時代が流れ、建物が老朽化し、衛生面でも問題が生じ、住人も減少して、治安がよくないことから、20数年前から多くが取り壊されはじめ、低価格マンションに建て替えられたり、公園になったりしています。
台中市の「眷村」の住民「黄永阜」さんは、現在90歳を超えた老人で、もとは香港九龍出身で、若い頃国民党軍に志願し、台湾へやってきました。台湾を転々したのち、最後に台中市の「眷村」に落ち着きました。2008年のある日、彼が住む「眷村」でも再開発計画の話が出ていました。そんな中、黄さんは、突然ペンキで家の前の灰色壁に絵を描き始めたのでした。
その後、隣の家の壁、路地など、黄さんの絵の世界は広がり、撮影愛好者たちがやってきて、ブログやフェイスブックで紹介するようになりました。さらにこの「眷村」が再開発計画によって、取り壊されると知ってからは、「彩虹眷村を救おう」とネットで呼びかける声が起こり、台中市の市長へ大量のメールが届けられました。芸術を愛する当時の台中市長・胡志強さんは2010年9月、自らここを訪問、絵で色彩豊かになった「眷村」に感動しました。そして、ここを再開発計画から外し、台中市の特徴ある公園として残そうと決めたのでした。
現在、黄さんは「彩虹眷村」の25号に住み続けています。上記のペンキを持つ兵士は、黄さん自身を表しているそうです。
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