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2024.02.07
惜しまれつつも記念館閉館!旧上海時代に数多くの名建築を残したヒューデック

中国上海は19世紀終わりから20世紀前半にかけて外国当局が管轄する「租界」が設けられていた。租界があった時代、上海には多くの外国人が商売し、居住していたのだ。その関係から、この時代に建てられた建築は、中国でありながら多くが外国様式の建築で今なお上海の独特の街の景観を形成している。

 

黄浦江という、川沿いにある「外灘(バンド)」というエリアには、その時代に特に勢力をもっていた機関や企業の建造物が建ち並び見るものを圧倒させる。

 

外灘の建築群の他に、上海で有名な建築は「武康大樓(ウーカンダーロウ)」である。この軍艦のような、威風堂々たる佇まいは、その実、三角地に大型マンションを建てるという難条件から繰り出した設計の妙であるが、近年中国人の間でこの建築の人気が高まり、休みの日のみならず、平日にも多くの人出がある。

 

 

この建築の設計をしたのが、今回紹介するラズロー・ヒューデック。

 

 

ヒューデックが上海で活躍した1920、30年代は、上海の旧租界が最も繁栄した時期に重なり、この時期に今の上海を代表する建築をはじめとする、数多くの建築が建造された。上海で確認されているヒューデックが手がけた建築は100以上にのぼる。ヒューデックが今日に残る上海の景観に与えた影響は大きい。

 

「武康大樓」の他、ヒューデックが手がけた有名建築といえば「国際飯店(旧名Park Hotel)」とそのすぐ傍にある「大光明大劇院(旧名Grand Theatre)」。

 

写真右に見える茶色の建物が国際飯店、工事をしている建物の左横が「大光明大劇院」である。上海一の繁華街・南京路にも至近にあるこの2つの建物は今も大きな存在感を放っている。

 

そんな功績があるヒューデック。上海市内にはヒューデック記念館がある。この記念館の建物自身、ヒューデックが設計し、7年に渡って家族とともに住んだ旧宅である。

 

 

 

記念館では、ヒューデックにまつわる貴重な資料を展示し、ヒューデックの生い立ちや功績を紹介している。上海の旧建築が好きな筆者も訪れていたが、今年で開館11年になるこの記念館が2月4日をもって閉館するとの発表があった。発表があった日は閉館までもう1週間もないタイミングであり、多くの人が閉館を惜しみ、大きな話題となった。

 

閉館まで日がないことから、ニュースを聞きつけて大勢の人が記念館の見学に訪れた。

 

記念館の敷地には入場を待つ人の長蛇の列となり、記念館に入るまで1時間以上かかった。記念館の展示スペースもそれほど大きくないことから、人でごった返している。筆者はこれまで何回かヒューデック記念館を訪れたことがあったが、これまでの混雑は見たことがなかった。

 

やっとのことで記念館の中に入る。予想していたものの、移動するのもやっとな人の入り。

 

 

この通り大勢の人で中はごった返し。多くの人が熱心にヒューデックの建築を紹介する3Dの映像を見ていた。記念館1階は常設展示室。かつてヒューデック邸のリビングダイニングがあった場所である。ここではヒューデックの生い立ち、作品についての展示がされている。

 

 

ヒューデックは1893年に東欧スロバキアで出生。父親はじめ、家族に建築関係に従事する人が多かった家系の出で、ハンガリーの首都ブタペストにある大学で建築を学び、1914年に卒業した。兵役によりハンガリー兵として第一次世界大戦に参加。1916年にロシア軍の捕虜となりシベリヤの収容所へ。1918年列車で移送中に飛び降りて逃亡、中ロ国境を越え中国に入りしその後上海に住む。

 

ヒューデックは建築を専門としていたため、上海ではアメリカ系Curry設計事務所で働き、設計図作成を担当。2年後はCurry設計事務所の出資メンバーに。1925年に独立しヒューデック洋行を創業。その後のヒューデックは有名設計士として大活躍。先に紹介した代表作のほか、教会や学校などの公共建築のみならず、不動産開発会社と協力しての宅地開発や中国の政治家、富豪の個人宅の設計も手がけていた。戦争と政治体制の移り変わりとともにヒューデックも中国を去る日を迎え、1948年にアメリカに渡った。

 

ヒューデック記念館は、ヒューデックの120歳の誕生日にあたる2013年1月8日に開館した。この記念館の建物はヒューデックが自分で設計し、7年に渡り住んだ家でもある。会社を経営する、劉素華さんという女性が自分の事業の為の物件を探していたところ、この邸宅を紹介された。当時長期間空家となり放置されていたため、大規模な修繕が必要な状態だった。

 

劉さんはこの邸宅の来歴や元の住民であるヒューデックを知り記念館の開館を決意し、巨額の私財を投じ3年かけて荒れ果てていたヒューデック邸を修復した。記念館を作るからには展示品が必要である。

 

 

劉さんは自らハンガリーとゆかりがある場所となれば中国のみならず、ハンガリーやスロバキアへも赴きヒューデックの娘をはじめとする関係者と出会い、記念館に展示する資料を集めた。

 

2013年のこの年は、折しも上海市旅行局が開催した「上海の99キーワード」というイベントがあった。その際に選ばれた99のキーワードのうち、「ヒューデック」、ヒューデックが設計した「武健大楼(オールドマンション)」、「国際飯店(ホテル)」、「大光明電影院(映画館)」、「上海ビール工場」という、ヒューデック関連のキーワード5つが選ばれた。これを機に「ヒューデック」の知名度が上がり、上海に「ヒューデックブーム」が訪れた。今でも上海旧租界時代に活躍した建築士の中で、最も知名度が高い人物がヒューデックなのである。

 

この日は企画展「閲読建築」があったため、普段は公開されていない2階展示室に上がることができた。

 

 

こちらの階段はヒューデック邸の建造時からのものとのこと。展示では各時代の建築の歴史、ヒューデックが手がけた建築の建築様式、世界各地の建築様式の紹介がされていた。

 

2階のひと部屋には、ヒューデック邸で唯一現存する備え付け家具が説明ととも置かれていた。

 

 

今回ヒューデック記念館が閉館になることは大変残念なものの、ヒューデックが手がけた建築はこれからも上海の景観を代表するものとして残り、ヒューデックの功績は語り継がれていくことだろう。私財を投げ打ち、11年物間に渡りこの記念館を管理し、人々にヒューデックや上海の旧建築を照会し続けた劉さんにねぎらいと感謝の意を示したい。

 

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本日御紹介した「惜しまれつつも記念館閉館!旧上海の名建築を残した建築家・ヒューデック」関連についてもっと知りたい方、写真の使用をご希望の方は、是非お問い合わせください。

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