今回仕事の関係で、台湾の嘉義と台南の間にある烏山頭ダムに訪ねました。
烏山頭ダムは、1920に着工し1930に完成した、嘉南大圳の重要な水利工事の一つであり、台湾初期のダムの一つです。日本人技術者の八田與一によって計画が策定され、嘉南平原の農業灌漑を主な目的として建設されました。
しかし、八田與一の名が日本人に知られるようになったのは、つい最近のことでした。2002年11月、台湾の前総統である李登輝氏が来日し、慶応大学で講演する予定となっていました。ところが、外務省が日中関係の悪化を懸念し、李氏のビザ発給を拒否。結局、李氏は来日できなかったものの、講演原稿が新聞紙上で発表されました。その時の講演テーマが『日本人の精神』で、その中で李氏は八田與一を詳しく取り上げて『台湾の大恩人』と紹介しました。そして多くの日本人は、この時初めて八田與一を知ったといいます。李氏の言う「日本精神」とは、公に奉ずる精神であり、武士道精神を指し、その精神は、八田與一という一人の日本人技術者を通じて、台湾でいかんなく発揮されたとのことでした。
烏山頭ダム
八田與一は1886年生まれ。現在の石川県金沢市内の出身。台湾総督府に勤務して水利事業などに従事しました。特に、台湾南部の嘉南平野の開発では、烏山頭ダムを初めとして、隧道や細かい水路を建設する大規模な計画を立案しました。総督府職員の立場を捨て、現地に設立された組合の「嘉南・農田水利会」の技師として、工事を推進し、官民の「身分差」がきわめて大きかった当時としては、異例の“身の振り方”だったということでした。
旧放水口
ダム設計にあたり、八田與一はコンクリートをほとんど使用しないハイドロリックフィル工法を採用しました。その工法で作られたダムは湖底に土砂がたまりにくいという特徴があり、同期に作られたダムの多くが土砂のために機能を果たせなくなっている中で、烏山頭ダムは現在もしっかりと機能しています。烏山頭ダムの満水貯水量は1億5千万トンで、これは黒部ダムの75%に相当し、水路の全長は1万6千㎞と、万里の長城の6倍にもなりました。その結果水田は30倍に増加し、ダム完成から7年後の1937年には、生産額が工事前の11倍に達し、サトウキビ類は4倍となりました。ダムの規模は当時東洋一と言われました。
八田與一さんの銅像
乾期に十分な水が得られなかった嘉南平野はダムと水路のお陰て、15万ヘクタールの肥沃な農地になり、台湾最大の穀倉地帯となりました。八田與一の功績は高く評価され、中学生の教科書にも登場しています。日本での知名度は低いですが、台湾では「最も愛された日本人」ともいわれています。八田與一の没後、すぐに現地農民が銅像を作り、毎年五月の命日には今でも墓前で感謝祭が行われているそうです。
烏山頭ダム内の遊覧船
出発前に烏山頭ダムの写真をいくつか見ていましたが、自分の目で実物が確認できたことで、本当に驚き、感動しました。台南に行く機会がありましたら、是非烏山頭ダム、嘉南大圳を見に行ってください!
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