音楽における香港ポップスについて皆さんはどれくらいご存知でしょうか? 基本的に広東語で歌われているので、英語でカントポップ(Cantopop)とも言われています。
日本では、テレビ番組などで80~90年代のジャッキーチェン映画の主題歌をよく耳にしますよね。実は、同じ時期の日本の流行曲が香港の音楽市場を支えていたと言っても過言ではありません。なぜかというと、80~90年代では、香港で多くのヒット曲が日本カバー曲だったからです。
なぜカバー曲が流行っていたのでしょうか?
1980年以降、香港ポップスの市場は発展し続けていましたが、生産量は上げられなく、曲の仕上げに苦戦していました。
主な原因は作曲家の不足で、そのため、外国からメロディーを輸入するしかない状況になり、そこで日本のレコード会社から、香港の歌手に楽曲を提供するブームが起こったと言われています。
また、カバー曲を使用することで、作曲の手間を省け、短時間で生産効率を上げることなどの経済的な利点がありました。版権費用が必要ですが、全体的には作曲家を雇うより安いというわけでした。
では、どのようなヒット曲があるかご紹介していきます。
■玉置浩二/行かないで(1989年)→ 張學友(ジャッキー・チュン)/李香蘭(1990年)
1989年のドラマ「さよなら李香蘭」の主題歌である玉置浩二の「行かないで」は、広東語カバーでは「李香蘭」というタイトルにつけられました。「四大天王」と呼ばれる香港を代表する4人の歌手の一人、ジャッキー・チュンがカバーしました。
張學友(ジャッキー・チュン)/李香蘭
https://www.youtube.com/watch?v=N_cwacSuSao (画像はYouTubeから)
■中山美穗&WANDS/世界中の誰よりきっと(1992年)→ 鄭秀文(サミー・チェン)/衝動點唱(1993年)
1992年のドラマ「誰かが彼女を愛してる」の主題歌である中山美穗&WANDSの「世界中の誰よりきっと」は、女優でもある有名な香港女性歌手・サミー・チェンが広東語バージョンをカバーしました。
鄭秀文(サミー・チェン)/衝動點唱
https://www.youtube.com/watch?v=5dixF7Ig8gM (画像はYouTubeから)
■河合奈保子/ハーフムーン・セレナーデ(1986年)→ 李克勤(ハッケン・リー)/月半小夜曲(1987年)
河合奈保子が1986年にリリースしたシングル。翌年に香港の男性歌手ハッケン・リーが「月半小夜曲」というタイトルで広東語でカバーして大ヒットしました。それ以来、香港ではスタンダード・ナンバーとして歌い継がれています。
李克勤(ハッケン・リー)/月半小夜曲
https://www.youtube.com/watch?v=dwu7l23BIq0 (画像はYouTubeから)
以上ご紹介した曲は、どれも私が子どもの時に、親の車の中でよく耳にしていました(笑)。
大人になって日本文化に接触してから初めてカバーソングだったことを知りました。90年代後半~21世紀に入って、香港音楽業界の制作方針が変わったため、カバーブームは去っていきましたが、そのあともいくつかの日本の名曲が広東語バージョンとして出されました。
日本でも香港でも名曲として知られている曲は本当に数多く、今回は紹介しきれないのですが、機会がありましたら、またご紹介させていただきたいと思います。
歌詞を理解しながら別の言語で日本の名曲を聴いてみたら、もしかして新たな世界観を発見できるかもしれません。皆さんもぜひ聴いてみてはいかがでしょうか?(フライメディア/ジャッキー)
株式会社フライメディアは、映像制作を中心に、海外、主に中国、台湾、香港のリサーチ、コーディネーションサービス、ライブ配信サービスをご提供している会社です。
本日御紹介した「日本の名曲と香港ポップスの関係性とは?」関連についてもっと知りたい方、写真の使用をご希望の方は、是非お問い合わせください。