会社が設立されて、すでに20年あまり。
色々なことがありましたが、これまで大変だった時期は、3回ありました。
1回目は、2003年に流行したSARSの時期。この時はまだ中国人が海外に渡航することが頻繁でなかった時期で、数ヶ月で業務も通常に戻りました。
2回目は、2012年9月の尖閣諸島問題に端を発した反日運動の時期。この時は中国各地で反日運動や日本製品の不買運動が起こり、日中の交流が途絶えた時期でもありました。
そして今回が3回目。言わずとしれたコロナです。中国から感染が広まったコロナは、現在は世界各国に広がり、これまでの2回の時とは異なり、日中だけの問題では片付けられない状況にまで発展してしまいました。
現在、弊社の業務範囲である中華圏には外国から渡航ができない状況で、各エリアでは外出禁止令こそ出されていないものの日本と同様に、外出には何かと不便が出ている状況が続いています。
そんな先行きが見えない中で、今回は、私がこの仕事を選んだ理由を書いてみようかと思っています。ちょっと自分のことは気恥ずかしい感じがありますが、初心に戻ってみたい、今後を考えていくための整理ができたら、そんな思いで。
そもそも私と中華圏との付き合いが始まったのは、大学3年〜1年間、黄河の流域の都市・中国河南省鄭州へ留学した時期からです。
中国での留学時代 山登りが好きで、華山に登った
よく皆さんから、「中国語を習っていたのですか?」と聞かれるのですが、留学して学んだのが最初です。
大学時代のアルバイトで、自宅の近くで遺跡の発掘調査に関わり、ちょうどそのころ放送していたNHK「シルクロード」の影響もあり、四大文明の一つ・黄河文明に憧れを持っていたことが中国への留学の動機でした。
中国留学、大学卒業、ビール会社に就職、中国駐在。ただその流れの中には、今の仕事への道筋は全くありませんでした。
北京での駐在時代 ホテルでひなまつりイベントの時の様子
この仕事に徐々に近づいてきたのは、結婚後、前の会社を退職し、子供が生まれてからです。
再就職を考えた際、知り合いから中国と繋がりがある会社を紹介されて、アルバイトを始めたのが、中国との映像ビジネスを行っている会社でした。子供に恥じることのない、自分なりの仕事をしたいと漠然と思っていた中、そこで出会ったのが、映像制作や映像コーディネーションという仕事でした。
初めて会社でNHKの特番の企画が通り、子供を合計1ヶ月近く親に預けて、初めて大型の海外ロケに同行しました。
場所はチベット。
チベットで出会った子供達
小高いところに立っているチベットの民家を訪ねました。見ず知らぬのお宅です。俯瞰が撮影したくて、屋根に登らせてもらえないかとお願いしました。
ちょっと警戒した雰囲気を醸しつつ、自宅に招き入れてくれたチベット女性。
ここに人間が住んでいるのかと思うほど、がらんとしていて、薄暗い室内。
その場に身を置いたものではないとわからない匂い、空気感。家畜の鳴き声。
そして、屋根の上に登った時の青々した空、眼下に広がる一面の茶色の大地。
屋根に上がらせてもらって撮影
こんな世界があるんだ。自分が一歩踏み出せば、色々な世界を見ることができる!それを仕事として紹介できるなんて、なんて面白いんだろう!
その時のそんなワクワクした気持ちがこの仕事をやりたいと思ったきっかけになった気がします。
このロケでは本当に色々な体験をしました
また、夫がいるから、子供がいるから、できない理由で自分の気持ちに蓋をするのではなく、やりたいとさえ思えば、色々道は開けるものだと認識できたのもこのロケでした。
それから歳月が流れ、その時の娘もすでに20代半ばすぎ。
色々あったけれど、子供に恥じない、自分なりの仕事はそれなりにやってきたのではないかなぁと少し自負もできたりして…。
これからどんな時代がやってくるかは分かりませんが、あの時のようにワクワクした気持ちで、色々なことに好奇心を持ち、少しの勇気を持って、これからも誰に喜んでもらえるようなことができたらいいなあ、今はそんなことを思ったりもしています。(フライメディア・ヨシダ)
株式会社フライメディアは、映像制作を中心に、海外、主に中国、台湾、香港のリサーチ、コーディネーションサービスをご提供している会社です。
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