最近、あるネット記事が目に入りまして、映画に出るような伝説な人物が存在しているかと驚きました。ひとまず、紹介します。
中国の新聞番組に紹介された人物
彼の名前は李紅涛(リホントオ)、1966年に湖北省で生まれ、小さい頃から成績優秀で、
14歳で地元の優秀な青年に選ばれ、全国中学生数学コンテストの二等賞を受賞したそうです。
1984年、中国名門の浙江大学電子工学科に入学。
1992年、26歳の李紅涛は大学を卒業し、同級生の妻と結婚、昆明で暮らしていました。
しかし、この年は彼の運命を変える転機にもなってしまい、偶然、彼はある女子大生と知り合い、不倫に陥りました。
家庭と不倫の渦に溺れていた李紅涛は友人に誘われ、会社を立ち上げることに決意しました。
しかし、資金不足のため,李紅涛はある会社の印鑑を偽造し,その会社のお金を自分の口座に送金してしまいました。
一回目は8万元を騙し取ることに成功したが、二回目は再び10万元を騙し取ろうとしたところ、彼の友人はその場で逮捕され、彼も翌日公安局に逮捕されました。
1992年4月18日、逮捕された李紅涛は、護送される途中にも関わらず、ずっと逃亡計画を考え、警察が食事をしている間を利用して、逃亡しました。
脱出に成功した李紅涛は家に戻り、逃亡用の必需品を揃え、列車で貴陽に移動しました。1992年4月26日、李紅涛は貴陽のホテル近くで、1台の車アウディを発見し、理系である彼はなんと手作りの鍵で車を盗み、車での逃亡生活を始めました。
しかし、嵐の夜運転を覚えたばかりだった彼は車ごと道路脇の溝に転落してしまい、幸運にも地元の農民に救われました。
その後、李紅涛はさらにあるレストランの前でパトカーを盗み、休まずに24時間をかけて、南寧から昆明に戻りました。
昆明に戻った彼は、どこにも隠れずに、堂々と不倫相手の彼女に会いに行きました。
1992年6月19日、公安は彼女が通っている大学構内で、彼は2度目の逮捕をされました。
昆明市第一看守所
昆明市の看守所では、彼はすべての犯罪経過を供述しました。
しかし、そんな「率直」「正直」な犯人を前にして、警察は不信を持ち、密かに調査し始めました。李紅涛は、4~5カ月間、看守所で過ごし、彼は喚問されたとき、警察に3ヶ月で案件を処理してくれないなら、また逃げるぞと脅しました。
警察たちは彼の脅しを信じず、彼の言葉を笑い飛ばしたことで、李紅涛を深く苛立たせました。意地を張るために、李紅濤は再び逃げることを決めました。
今回無事に脱出できるように、李紅濤は綿密な計画を立て、他の2人の犯人を説得し、協力してもらうことができました。3人は数日かけて、手作りの道具を使って看守所の壁を掘りつづけました。
1992年11月16日の夜に壁がようやくやぶられ、李紅涛は当直の警察の下から逃れましたが、他の二人の共犯者はそれほど幸運ではなかったです。
その夜のうち、脱出に成功した彼が、最初にしたことは、なんと事件調査を担当する警察に電話し、自分の脱走成功を自慢することでした。電話を切った後、彼は列車で柳州に向かい、再び逃走生活を続けました。
今度は1台のプジョーのクルマを狙って、これも余裕で手に入れることに成功し、あてもなく柳州で逃げ回っていました。
ただ、今回逃走している間、 無線電波を研究していたことがあり、機械に対し並々ならぬ興味を持っている彼は、ずっと「ブラシレス励磁モーター」※注の構造、発明に興味を持ち始めました。
ブラシレス励磁モーターのイメージ写真
1992年12月8日、李紅涛は公安当局に3回目に逮捕されました。
1993年2月、李紅涛は昆明市第一看守所に護送され、
1993年4月26日、李紅濤は公安機関に正式に逮捕されました。
昆明第一看守所での判決を待っている間、李紅涛は何度も所内の警察に実験の要求を話しかけ、所内のトップが慎重に検討した結果、リストを冒して彼の要求を同意し、実験用の部屋を特別に提供しました。
それ以来、李紅涛は実験に没頭するようになりましたが、実験条件が悪いため、「ブラシレス励磁モーター」の作動はなかなかうまく行かなかったそうです。
その矢先、1993年11月1日、昆明中級人民法院は李紅涛に対して、詐欺、逃亡、窃盗の複合犯罪で死刑と終身政治権剥奪の一審判決を下しました。
死刑判決を受けた李紅涛は実験を続けたい気持ちが変わらなかったので、昆明第一看守所のトップたちは、いろいろと検討した結果、彼が2回目の実験を行うことに同意しました。
2回目の実験中の1993年12月、雲南省最高人民法院は李紅涛の死刑判決を承認し、執行通知書を昆明市中級人民法院に下しました。
規定によると、判決書が下された後、7日以内に死刑が執行されなければならない。
李紅涛に残された時間は僅かとなりますが、彼が直面した難題を解決するために、昆明市第一看守所の所長は自ら雲南省電気科学研究所の専門家数人を看守所に招き、現場指導を行われました。専門家のアドバイスに彼は啓発され、すぐに問題を発見しました。
1993年12月末日は彼のデッドラインとなりますが、なんとその日に実験が成功しました。
その夜、看守所所長は急いで李紅涛の死刑執行停止の出願申請を昆明市公安局に送り、公安局の局長が自ら指示し、昆明市公安局の重要文書の形で、さらに雲南省最高裁判所に執行猶予を正式に要請し、雲南省最高裁判所は検討の結果、死刑執行停止が認められることに言い渡しました。
ブラシ励磁モーターの特許申請内容
その後の1年間、李紅涛が減刑できるように、看守所は李紅涛のために特許出願を申請する一方、上層部門から特別認可を得て、彼を電気研究所に連れて行き、データのテストや、モデルの改善が行われました。
1995年、李紅涛が発明した「ブラシ励磁モーター」は、第5回中国特許発明博覧会金賞、雲南省優秀発明創造一等賞を受賞しました。李紅涛は特許を申請した際、「楊紅俊」という別名で登録されたそうです。
その後数年に渡り、李紅涛(仮名“楊紅俊”)はまた多くの発明があり、3つの発明特許、3つの実用新案特許を獲得しました。李紅涛の著しい功労により、刑の減免に関する法律に従い、死刑が有期懲役に減刑され、2009年、李紅涛が釈放され、新たな生活が始まったそうです。
2002年、2度の脱獄成功した李紅涛は、刑務所の管理体制の改善に協力することを決意し、昆明第一看守所の技術警察と一緒に、完全コンピュータ化された、刑務所の監視管理システムを開発し、昆明第一看守所は中国のモデル看守所20ヶ所のリストに躍り出ました。
鳳凰衛視の「冷暖人生(その2)21世紀中国民間档案」
釈放された李紅涛は高給で雇われ、科学研究開発に従事しているそうです。彼の話は鳳凰衛視の「冷暖人生(その2)21世紀中国民間档案」という出版物に収録されたそうです。
しかし、「楊紅俊」名義で出願された特許は、本当に李紅涛が出願した特許したものか、釈放された後、本人の情報は見当たらないことで、その話の真実性に疑っている人もいるそうですが、「知識、能力が本当に運命を変えることができる」ことは間違いないと思いますね。(フライメディア/ヤスカ)
※注ブラシレスモーター
https://www.orientalmotor.co.jp/tech/reference/brushless01/
海南特区報2016年9月18日
http://news.cctv.com/2016/09/18/ARTIrEjn9YgNuBPvfGkZIFDp160918.shtml
安徽衛視新聞映像
https://www.ixigua.com/6331844282303693057?wid_try=1
参考記事:
https://www.163.com/dy/article/H7BAM0SS055333YU.html
株式会社フライメディアは、映像制作を中心に、海外、主に中国、台湾、香港のリサーチ、コーディネーションサービス、ライブ配信サービスをご提供している会社です。
本日御紹介した「理系生死刑犯の運命大逆転!」関連についてもっと知りたい方、写真の使用をご希望の方は、是非お問い合わせください。