2017年8月18日、「今日頭条」網によると、河北省保定市の雄県で発見された地下の古戦道が脚光を浴びている。
この地下の古戦道は、「宋遼古戦道」で、1964年に発見され、1993年に発掘、修繕されたものだ。発見された古戦道は、雄県をはじめ、覇州、文安、永清に分布しており、それらをまとめると、その規模は、東西に65km延びており、南北の幅が65kmで、総面積が1300㎢に及んでいる。宋遼時代において、この地は国境地域であり、毎年のように戦が繰り広げられる古戦場であった。
宋の名将、楊延昭がこの地を16年守り、一度も敗れなかったことでも有名である。楊延昭は度重なる戦に勝利しているが、それは、この古戦道の修繕による功績も大きいとの見方もある。当時、これほど広大な防衛施設ができたのは、古代の軍事史上でも奇跡の一つと言われている。
ちなみに楊延昭は、中国民間でも人気の高い「楊家軍」と呼ばれる武門一族の楊家の六男で、「楊六郎」とも呼ばれる。楊家の将軍たちはみなこの地で戦っており、今日でもその戦いぶりは、テレビドラマや京劇の作品となっていて、ファンが多い。
古戦道はレンガ造りで、壁は厚くできていて、その設計は合理的かつ複雑である。上部にかかる圧力も上手に分散されており、通路も入り乱れ、「迷魂洞」や「翻眼」など様々な防衛の工夫がされている。
例えば、「迷魂洞」では、入ると方向を見失って落とし穴にはまるし、「翻眼」は、ひと一人がやっと通れるほどの小さい穴があいていて、そこを通る敵には大勢の兵士が待ち伏せしているしくみになっていたり、「蔵兵洞」は大量の兵士を収容でき、伏兵をおくのに好都合だったりと、軍事的な工夫がさまざま。もちろん、通気口や燭台などもある。
古戦道の構成や出土した器物などからも、兵士の移動、情報の伝達や敵陣の観察などに用いられたと考えられている。工事量が膨大で、分布範囲も広く、かつ軍事防衛用に造られていることから、万里の長城に匹敵する大発見として、「地下長城」と呼ばれる。
(情報源:http://www.toutiao.com/a6455285301551038989/#p=1)
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