中国上海の陸家嘴と言えば、中国の急速な経済発展の象徴的存在。黄浦江を挟んだ対岸にずらりと並ぶ高層ビル群は上海を訪れた人は必ずと言っていいほど足を運び、感動する光景である。
陸家嘴は1990年代より中国の本格的に開発が進められた。以前ここは農村で田畑が広がっていたという。そんな陸家嘴のエリアで、昔の面影を探してみた。
1.陳桂春住宅(現:吴昌碩記念館)
高層ビル街に忽然と現れる旧建築に目を留める人は多いだろう。元は輸送船の商売で成功し、また社会事業家としても有名だった陳桂春氏の邸宅で1917年築。陸家嘴の開発ではほとんどの旧建築が取り壊されたが、これはこのエリアで唯一保存されている。
現在は陳氏とも交流があった、書家・吴昌碩氏の記念館として一般公開されている。ここからは「陸家嘴の3セット」と称される、ひと際高い3つの高層ビルも見え、コントラストを楽しめる。
住所:陸家嘴東路15号 火曜~日曜10~17時開館
2.庄家祠堂
祠堂とは一族の先祖を祀り、一族の集会や観光葬祭をするお堂のこと。かつてその土地の名士が建てていた。
広東省など、南の地方には現在も使用されているが、上海市内エリアで建物が残存していることは珍しい。現在は学校関連施設の敷地内にあり、内部を見ることはできないものの、その古さが伺える。18世紀に浙江省寧波からこの地に一族で移住し栄えていた庄家が、民国時代に建てた祠堂である。
以前はこの付近に「庄家宅」という地名が残っていたものの、1990年代の地下鉄開通工事及び幹線道路の開通により消滅した。
住所:東昌中学敷地内 ※内部見学不可
3.沈杏苑旧宅
1885年築。沈杏苑氏は日本留学もした、上海で有名な外科漢方医だった。このお宅は診療所も兼ねていた。
名医の評判からこの場所への人の往来が増えていき、付近に人が住みだし、「沈家弄(弄は路地の意)」の名になった。現在旧宅の前の道は「商城路」の名前になっているが道路を東に進むと今も「沈家弄路」の名が残っている。
邸宅は改装され現在は高級レストランに。
邸宅付近の井戸跡と大きな樹にかつてのお屋敷の痕跡が感じられる。
住所:商城路665号 陸家嘴1855広場内
4.傅氏玫瑰教堂
カトリック教会。19世紀半ばにイタリア人主教が開いた教会が前身。
その後、この土地の名士である傅氏の土地に教会が移築され、一族の多くが入信したため教会に傅の名が入った。現在残る教会は1920年完成。高い尖塔を頂いている。
住所:浦東大道1115号
5.梅園小学
前身は1880年、カトリック教会が創設した「培爾教会学校」。
小学校に隣接して教会「其昌桟聖若瑟堂(聖ジョセフ堂)」の建物がある。現在も定期的にミサが執り行われている。
住所:浦東大道650号
6.其昌桟渡船場
上海を流れる川・黄浦江にある渡船の渡し場。
元々19世紀にイギリスがこの辺りの土地を使用していた。その後イギリス系商会が購入し倉庫や船着場を建造。一帯の人口増加ともに1930年代、渡し船の渡場が建造される。付近にはかつて商会が建てたと思われる洋館が数棟残っている。
住所:滨江大道東方路(黄浦江沿い、東方路との交差点)
7.上海欽仰殿道観
上海で歴史ある道教寺院。
具体的な創建年は不明なものの、三国時代に遡ると言われる。現存する旧建築は東岳大殿。陸家嘴からこの辺りまで来るにはシェアサイクルで移動するのがおすすめ。
住所:思深路476号 拝観料5元
一見すると高層建築ばかりに見える陸家嘴エリアもよくよく見ると以前の面影を感じることができる。このエリアで仕事をしている人は昼休みなどの時間を利用して足を運ぶとまた違った陸家嘴の一面を楽しむことができる。
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