定番おかずからロブスター入りまで―香港人の胃袋を支え続ける「両送飯」

■香港の街角で出会う「指差し注文」の熱気

香港の湿り気を帯びた空気に、香ばしい油の匂いと蒸気の熱が混ざり合う。街を歩けば、店頭のガラス越しにずらりと並んだ色鮮やかなおかずの数々が目に飛び込んでくる。その前で足を止め、ショーケースの中を真剣な眼差しで見つめる人々の列。これこそが、現在の香港を象徴する食文化「両送飯(『送』は正式には『食偏+送』)」の日常風景だ。

注文方法は極めてシンプル。十数種類以上並ぶおかずの中から、客が自らの好みで2種類を選び、山盛りの白飯の上に載せてもらう。広東語が堪能でない外国人たちが、ショーケース越しに「これと、これ(This, This)」と指を差して注文することから、親しみを込めて「This This Rice(ディス・ディス・ライス)」とも呼ばれている。プラスチック容器の蓋がパチンと閉まる小気味よい音とともに、多忙な都市生活者に温かな一皿が手渡される。この簡便さと視覚的な分かりやすさは、合理性を尊ぶこの街の気質に見事に合致している。

■歴史が育んだ「庶民の救世主」としての役割

両送飯の源流は1970年代から80年代の高度経済成長期、工業ビル内の食堂や学生向けに軽トラックで販売されていた移動式弁当にまで遡る。当時から安価でボリュームのある食事として、労働者や学生の胃袋を支えてきたが、90年代後半のアジア通貨危機やSARS(重症急性呼吸器症候群)流行による不況時には、特に市民にとって「命の飯」になったのである。

近年のコロナ禍においても、外食制限下で多くのレストランが経営難に陥る中、持ち帰りに適したこのスタイルは爆発的な広がりを見せた。「両送飯」は香港人特有の「変通(ピントーン)」、すなわち状況に合わせて柔軟かつ逞しく生き抜く精神に見事にマッチした食べ物として平時も苦しいときも常に愛され続けてきた。

■自由度と多様性:おかずが織りなす無限の組み合わせ

「両送飯」の真骨頂は、圧倒的なバリエーションと「選択の自由」にある。定番の酢豚や豚肉のスパイス揚げ、蒸し卵、季節の野菜炒めなどをはじめ、食欲をそそるおかずが並ぶ。3種類ではなく「2種類」という選択は、コストを抑えつつ栄養バランスを確保し、かつ満足感を得られる絶妙な境界線なのだ。

また、激しい市場競争の中で、各店舗は独自のサービスを競い合っている。日替わりのスープやドリンクを無料で提供するのはもはや珍しくなく、デザートとしてあずき粥を付ける店もある。一食20香港ドル(約400円)という驚異的な安さを維持する「D30」のような薄利多売の店から、数十種類のおかずを取り揃え、行列が絶えない「権発小厨」のような名店まで、その層は極めて厚い。

■「貧者の恩恵」から「ビジネス街のトレンド」への変遷

かつて「両送飯」は、低所得層向けの食事をというレッテルを貼られていた。しかし、そのイメージは劇的な変化を遂げている。両送飯は今や、金鐘(アドミラルティ)や中環(セントラル)といった超一等地のビジネス街にも進出している。かつては高級ホテルでランチを楽しんでいた金融界のエリートたちが、今ではパシフィックプレイス近くのスタイリッシュな「両送飯」の店に列をなしているのだ。

特に注目すべきは、金鐘にある「Remedy Me」のような進化系店舗だ。ここではホテルの元シェフや広東料理の大家が腕を振るい、健康志向のホワイトカラー層向けに「少油少肉(油控えめ・肉控えめ)」やベジタリアンメニューを提供している。価格も下町の2倍以上、60〜70香港ドルほどに設定されているが、ロブスターやアワビといった高級食材を使った限定メニューも登場し、もはや妥協の産物ではなく、積極的に選ばれる「グルメ」へと昇華した。

■両送飯が象徴する、香港人のアイデンティティ

経済の波に翻弄されながらも、伝統を重んじつつ新しい価値を取り入れて自らを更新していく。両送飯という一皿には、そんな香港人の強靭で柔軟な生き様が凝縮されている。一時的なブームを超え、香港の「無形文化遺産」とも呼びうるこの普遍的な食文化は、これからも街角の活気とともに進化し続け、歩く人々の心と胃袋を温かく満たしていくに違いない。

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